DRAGON QUEST 2U
ドラコラムその6 初代ドラゴンクエストを作った男たち

今回は初代ドラゴンクエストを作り出したキーパーソンを紹介します。


堀井雄二(ほりいゆうじ)
ドラゴンクエストのシナリオライター。1954年(昭和29年)生まれ、兵庫県出身。有限会社アーマープロジェクト代表取締役。 早稲田大学文学部を卒業後、週刊少年ジャンプをはじめ数々の雑誌でフリーライターとして活躍。本田一景のペンネームでマンガの原作などもやっていた。

1982年エニックス主催の「ゲームプログラミングコンテスト」に「ラブマッチ・テニス」で入賞。それがきっかけでエニックスで日本初のRPG、ドラゴンクエストのシナリオを書くことになる。1986年、シリーズ第一作目となる「ドラゴンクエスト」を発表。大ヒットを記録し、その後も大人気シリーズとなるドラゴンクエストのシナリオライティングをつとめる。当時週刊少年ジャンプではファミコン神拳というゲーム記事の連載をしていたため、自分のゲーム(ドラクエ)を紹介するときは「ゆう帝」というペンネームを使っていた。平成元年35歳の時ライターの仕事を辞め、ゲームデザインに専念する。ドラゴンクエストシリーズ以外の代表作は「ポートピア連続殺人事件」「いただきストリート」などがある。(参考:ウェブサイト



中村光一(なかむらこういち)
初期のドラゴンクエストのメインプログラマ。1964年(昭和39年)生まれ、香川県丸亀市出身。株式会社チュンソフト代表取締役。高校三年生の1982年、エニックス主催の「ゲームプログラミングコンテスト」に「ドアドア」で優秀賞受賞。この春、東京の大学に合格し上京。同年、ゲームプログラム会社チュンソフトを設立する。ドラゴンクエストのメインプログラムをつとめる。中村光一はドラゴンクエスト3を最後にメインプログラムから手を引いている。堀井雄二と意見の食い違いなどがあったらしい。と本に書いてあったんだけど4までやってたような気がする。現在はチュンソフトでトルネコシリーズなどを発売している。



鳥山明(とりやまあきら)
ドラゴンクエストのキャラクターデザイン。1955年(昭和30年)生まれ、愛知県出身。広告代理店に3年間勤め退社。後に漫画家に。1978年に週刊少年ジャンプでデビュー。翌1979年に同誌上で連載開始した「Dr.スランプ」が大ヒット。次作ドラゴンボールも大ヒットを飛ばす。キャラデザインを持ちかけられた当時は忙しいのが嫌いな鳥山明は渋ったそうだが、編集者の鳥嶋氏のフォローで引き受けたという。ドラゴンクエスト全シリーズのキャラクターデザインを手がける。



すぎやまこういち(漢字で書くと椙山浩一)
ドラゴンクエストのミュージックコンポーザ。1931年(昭和6年)生まれ、東京都出身。東京大学教育学部卒業後、文化放送を経て1958年にフジテレビ開局と同時に入社。ディレクターとして「ザ・ヒットパレード」など数々の番組の演出にたずさわる一方、CM音楽なども手がける。のちにフリーの作曲家となり、「恋のフーガ」「花の首飾り」「学生街の喫茶店」、最近カバーされた「亜麻色の髪の乙女 」などの数々のヒット曲を手がける。

すぎやまこういちがドラゴンクエストの音楽を手がけることになったのは、「森田和郎の将棋」を購入したすぎやまがアンケートはがきを出し、たまたまプロデューサの千田幸信の目に止まったのがきっかけ。すぎやまこういち本人も大のゲームマニアということもあってプロデューサーの千田の方から申し入れた。これにはメインプログラムの中村光一が難色を示したが、実際に会ったことで意気投合し中村の方も了承した。その後ドラゴンクエストシリーズの全作曲を手がける事となる。現在は作曲以外にもコンサート活動など幅広い分野で活躍中。(参考:ウェブサイト



千田幸信(ちだゆきのぶ)
初期のドラゴンクエストのプロデューサー。岩手県出身。株式会社エニックス現副会長。エニックス設立当初よりプロデューサーとして活躍、「ドアドア」「ポートピア連続殺人事件」などを世に送り出す。その後発売までに紆余曲折があったが日本初のRPG、ドラゴンクエスト完成させた。ちなみにドラゴンクエストロトシリーズで登場する「ゆきのふ」はこの人がモデルである。



宮岡寛(みやおかひろし)
ドラゴンクエスト2ではシナリオアシスタントを担当。現在はメタルマックスなどのゲームデザイナーとして知られる。有限会社クレアテックの代表取締役でもある。また少年ジャンプのファミコン神拳ではミヤ王というペンネームを使っていた。ちなみにファミコン神拳のもう一人、キム皇こと木村初はドラクエとは関係ない。


安野隆志(やすのたかし)
初期のドラゴンクエストのCGデザイナーでチュンソフト所属。中村光一とは高校時代からの同級生。


福嶋康博(ふくしまやすひろ)
当時株式会社エニックス社長。現株式会社スクウェア・エニックス会長。1947年(昭和22年)生まれ、北海道旭川市出身。社名のエニックスとはIBMの世界最初のコンピュータの「エニアック」と不死鳥の「フェニックス」を掛け合わせた造語。



参考資料:マンガドラゴンクエストへの道(石森プロ、エニックス)
エニックスの飛翔(大下英治、しょういん)
間違いを発見したら教えてください。

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