番外編

ゲーム業界 偉人の名言


山内溥(任天堂)
任天堂の元社長。絶大なカリスマ性で多数の名言を残す。現会長?

「おもしろいゲームを作れ」 (1981)
ボスは宮本茂にこう命じました。そしてドンキーコングが生まれました。

「(メガドライブは)少しも売れん」 (1985)
断言しすぎ。

「32ビット市場は崩壊する」 (1993)
任天堂は32ビットマシンは作ってなかったからな…。

「この世界、ゴミみたいなやつらはたくさんおるんや。顕微鏡で見なわからんようなのを、いちいち気にかけていたらキリがない。」 (1989)
実際に発した言葉だというからすごい。ここのゴミというのはハッカーインターナショナルの事らしい。

「日本のRPGはみんな『ドラクエ』のマネだ!」 (1995)
プレステ陣営へ移るスクウェアに会心の一撃。

「駄作は駄作、愚作は愚作、まねソフトはダメソフト、任天堂は先見の明があるソフトメーカーとともに少数精鋭でやっていく」 (1996)
少数精鋭すぎましたね、ニンテンドウ64は。

「30代や40代になってまでも秋葉原あたりをうろうろして、ゲームで遊んでいるような状況ではおかしい」 (1999)
返す言葉がございません。

「ゲーム業界は天国か地獄」 (1989)
当たれば天国はずせば地獄、ってことですな。



横井軍平(任天堂)
十字キーやヴァーチャルボーイなど。不慮の交通事故でこの世を去る。ワンダースワンのグンペイは横井氏の忘れ形見。

「バーチャルボーイは今でも失敗とは思っていない」 (1997)
横井さんの中ではバーチャルボーイは成功らしいです。

「モノづくりが人生の中心でしたからね」 (1997)
生粋のクリエイター横井軍平氏らしい発言。

「今のゲームはゲームじゃないから」 (1997)
グラフィックだけがゲームじゃないっ!スクウェアへの皮肉か?



宮本茂(任天堂)
任天堂の現開発部長?マリオ、ゼルダの生みの親。この人を嫌いという人は滅多にいない。

「自分の欲しいものを作る。辺にわかったふりして作っても評価されない」 (1998)
ゲームクリエイター宮本茂の確固たる信念。

「いい加減な仕事ばかりやってないで、少しは無理してでも苦しい仕事をこなさないとダメ」 (1998)
耳が痛い台詞だ。



鈴木裕(SEGA)
SEGAでバーチャファイターを作った人。AM2研のボス。

「今から俺を殴ってみろ」 (1997)
バーチャファイター制作時の有名なエピソード。ゲームで殴られているキャラが痛そうに見えなくて、実際に自分を実験体にしたらしい。アツイ人。



飯野賢治(ワープ)
ワープの名物社長。E0や風のリグレットなど迷作を世に送り出す。今は何をしてるんだろ。

「デカルトを読まないと『E0』のおもしろさは分からない」
読めと言うんでしょうか。いちいち読んでられません。

「広井王子はなんであんなにたくさんソフトを作っているんだろう」
大きなお世話、ですね。



上月景正(コナミ)
コナミの社長。今も?

「『ときめきメモリアル』をニンテンドウ64出だすかというと答えはノー。小学生はまだときめかない」 (1997)
ときめかない(笑)。そりゃそーですよね。


参考資料:ゲームラボ1999.04

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